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同人サークル「丁字屋残党」主幹です。

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171:母親のこと

2011/04/16 (Sat) 05:23
小人たちの邂逅

母が亡くなりました。
先日、4月2日午後8時のことでした。80才でした。


今年正月に帰省した際に本人自ら癌であることを明かし、自宅療養を希望。その時は多少はつらそうな時もあったものの普通に家事をしたり、買い物に行っていたりしており、自分も、家族のそれぞれも、おそらくは本人も、その時が来るのはまだまだ先のことだろうと思っておりました。
その後一月、二月と仕事でゴタゴタがあり、3月になってそろそろ顔を見せるかなと思った頃に東北地震で鉄道やガソリンがああいうことになったりして、その頃あまり声を出せなくなったと聞き心配しつつも、顔を見せられたのは3月21日。その時には介護ベッド生活になり、食も細っていましたが、それでもしっかりしていて自分でトイレにも行けたし、食事も起きてきて一緒にとっていたので、まだまだ大丈夫と思っていました。
が、その翌週一人でトイレに行けなくなったと、更にその直後に1ヶ月はもたないだろうと医者に言われたとの連絡を姉から受けました。
それでもヘルパーが朝夕つくことになり、母自身身体が楽になったと言っていると聞いて少し安心し、とにかくそれまで自分の出来ることをしようと決め、仕事が休みになった土曜日に帰省したのがその日…4月2日でした。その日の昼前、母が痛みを訴え、診察に来た主治医が言ったのが「あと一週間から10日、もしかすると2~3日かも知れない」という言葉。しかしその晩には……。まるで時計を早回しするかの如くあっさり逝ってしまいました。


だから今回のことは、悲しいのもそうですが、ほとんど何もしてやれなかった…

まだまだ大丈夫とたかをくくった挙げ句に、本当はいくらでもしてあげられたことすら何もしてやれなかった
 
…そのことの無念と悔恨が大きいです。今後もずっとこのことに自分は苛まれるでしょう。

ただ、一方で家族の絆の強さを確認出来たことや、普段会えてなかった親類と色々話が出来たこと、そして何より弔問の方々と語り合う中で、様々な方が母と楽しい思い出を共有し、子供が一人前になるまでは我慢と苦労を重ねていた母の、自分を含めた兄弟が家を出た後の後半生が充実したものであったことを再確認出来たことはよろこばしいことでした。


まあそれとは別に、その後のゴタゴタの中で伊丹十三の映画のような(しかもあの映画にはなかった…あの映画の中で描けば館内どっと笑いだろう的な)面白エピソードがあったり、母親に何もしてやれなかった悔しさとは別に、えん魔くんの第一話が視れなくてプチ悔しいとか考えてたりして…(汗。


で、9日夜から埼玉に戻ってきたのですが、前述したように、自分は母親に何もしてやれなかったことをずっと悔いているわけですが、
それでも実家にとどまっていた頃は気も張っていたし、周りに人も大勢いて他に気を使うこともあったのですが、埼玉に戻ってきてからは一人ということもあり、ともすれば何度もそのことで、「俺はバカだ」と自分を責めてました。

しかし12日夜(奇しくもその日は母が逝ってちょうど10日目でした)から翌朝にかけて母親の夢を見まして、シチュエーションとしては癌だと明かされた後だがまだ具合のしっかりしている頃の母の姿で、自分はそれを半ば夢だと認識しながら、現実で出来なかったこと(自分自身は母の葬儀を経た記憶があるのですが、夢の為にその辺の矛盾は曖昧なのですね)を取り返そうと母親を助けるんですね。そして何度も目を覚ましては眠る度に同じような夢を何度も見るんですよ。そして起きると夢の中で握った母の手の感触が確かに自分の手に残っているのです。
やがて自分は気づきました。これはいつまでも後悔で自身を苛んでいる自分を心配して、母が夢で逢いにきてくれたのだと。そして何も言わずに自分が生前してあげられなかったことをさせてくれたのだと。
そう思った瞬間、そんなバカななどと思う前に涙が溢れ口から感謝の言葉が…涙で声になりませんでしたが…出ていました。

四十過ぎていながら亡くなったあとまで心配かけてすまないと同時にありがとうと心から思います。そしてそれは都合のいい思い込みかも知れませんが、それでも何か気持ちが楽になったような気がしています。

ていうかもうそれは母親として完璧すぎるだろ!と突っ込みたくすらなります。



そんなわけで、ここのところ「悪い奴ほどよく見える」の棺桶の錠の如くふぬけていた自分でしたが、これからは出来れば「解散無用」の中村主水の如く不敵に笑っていければいいと思います…と、必殺ネタで締めてみました。

まあこの後も四十九日やら墓のこととか色々あるのですけどね…。


で、冒頭の絵ですが、母を偲ぼうと最後に一緒に行った映画である「アリエッティ」でも描こうかなと思ったら何故かこんなネタ絵に…。母よすまぬ。俺はこんな男だ


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